世の中には色んな人がいるわけじゃないですか。
で、いつどこでどんな出会いがあるかは分からないわけじゃないですか。
たとえば
俺こと着ぐるみのおじさんが
シャーマンと
セルクナム族の人
と同席することもあると思うんですよ。
セルクナム族は絶滅しちゃってるけど、それは置いといて。
バラバラの環境で過ごしてきた3人だから、共通点もあるけれど、もちろん違う部分もある。
図にすると
色が重なっているところが共通の部分で、重なっていない部分がそれ以外の部分っていうイメージ。
せっかく色んな人が集まったんだから自分の知らないことを知りたいし、持ってないものを吸収したい。
とは思うけど、色んな人がいるからこそ、共通する範疇でしか話ができないこと、あると思うんです。
この図だと
本当はこの大きい外枠で話がしたいのに
実際はこの狭い内側の話しかできないこと。
これじゃ扮装へのこだわりくらいしか話ができないし、後は奇跡的に全員エビチリが好きなことを願うくらいしかない。
これは何も俺とシャーマンとセルクナム族に限った話ではなくて、もっと身近でも起こる話だと思うんです。
友達同士とか、ご近所づきあいとか、SNSの繋がりとか。
…何で急にこんな話をしだしたかって言うと急に頭がおかしくなったからなんですけど、それだけじゃなくて。
ちょっと前から色んな所で言われる
「多様性を認めろ」の「多様性」を、俺はさっきの図の外枠の意味で捉えていたんだけど、どうやら内側の部分を指してるんじゃないか…?と今更ながらに思ったからで。
何と言うか、
「多様性を認めたら自分が広がっていくのかな」と思ったけど
「多様性を認めようとした結果、アッチにもコッチにも道を譲らなくちゃいけなくなった」ことの方が多いというか、ほとんどそうなんじゃないのかなと思って、その窮屈さから頭がおかしくなってしまったんです。可哀想に…。
全部が全部窮屈なわけじゃないし、何なら共通する話をしている時って楽しいんですけどね。
というわけで俺もみんなと共通の話がしたいから、シャーマンもセルクナム族も模範囚もそれ以外の人も、とりあえず全員Vガンダム見よう。
ただしまだ序盤しか見てないから足並みは俺に合わせてくれ。それが多様性を認めるということ、分かり合うってことだ。ったらイヤだな…。